難しいですよね。
なるべく勉強したいと思います。
戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古で成立した明治新政府が江戸幕府勢力を一掃した日本の内戦。慶応4年/明治元年の干支が戊辰だったことからこの名で呼ばれる。この戦争の結果、薩長、薩長協力藩(佐賀藩、土佐藩等)出身者が明治政府の主体となり、日本は近代的な中央集権国家への道を歩んでいった。
戦争終結までほぼ一貫して新政府軍の優勢のうちに戦いが進められた。「近代化を進めた新政府軍に対して、遅れた旧幕府側の軍隊が対抗できなかったために敗れた」というのは誤りで、実際は旧幕府軍も早くから軍隊の西洋化に取り組んでおり、新政府軍に対して劣っていなかった。特に海軍は旧幕府軍のみが持っていた強力な戦力であった。開戦時での兵力や兵站は旧幕府軍が圧倒的に優勢であったが、小銃での戦闘に習熟した新政府軍に対応できず大敗した。それでも旧幕府軍の兵力は上回っており洋化部隊も温存されていたのだが、徳川慶喜が将兵を置き去りにしたまま脱出したこともあり士気が低下し自壊した。以降、徳川慶喜が降伏恭順に徹したため、反抗を続ける旧幕府勢力は糾合の核を欠き、戦力の結集が行えなかった。東北戦争では奥羽同盟に参加した藩の多くが、改革の遅れや財政難から軍備が立ち後れており、新政府軍とは兵力での開きが大きかった。同盟に合流した旧幕府軍の精鋭部隊も弾薬が欠乏すると、旧式の小銃を使用せざるをえない状況に追い込まれた。
兵力として藩士からなる正規兵だけでなく、町民や農民、無頼の徒や他国藩士によって結成された混成部隊が戦力とされ活躍した。長州奇兵隊を結成した高杉晋作は「太平の世で堕落した武士より戦力になる」と考えていたとされる。
戊辰戦争においては、焼き討ちや物資の現地接収、捕虜の私刑、味方への制裁も多く発生している。また、略奪、暴行、放火、強姦や殺戮のような戦争犯罪が行われた記録も多い。いわゆるガラの悪い人物の多い混成部隊ではもちろんの事、藩兵が同盟領内や自国内で行った記録すら残されている。また、会津兵や薩摩兵による敵兵の肝を食う行為も伝えられている。これらの記録は特に東北戦争において見ることができる。ただしこれらの兵の素行や略奪の概念は近代の倫理観と同一ではないため、現代の倫理観をそのまま当てはめて判断することは適切ではない。
新政府軍は主にイギリスから、旧幕府軍は主にフランスから、軍事教練や武器供与などの援助を受けていた。しかし両陣営とも外国の軍隊の派兵を要請することはなかったため、欧米列強による内政干渉や武力介入という事態は避けられた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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