2008年03月30日

政党支持率の推移

今日はこのようなことについて調べてみました。

民主党の政党支持率は自民党と比べ上下変動が大きく、国政選挙の直前に急上昇する傾向が見られる。各種全国紙の世論調査では大体15%前後で推移しているが、朝日新聞の調査では第43回衆議院議員総選挙の前に20%台まで上昇している。また同調査で第20回参議院議員通常選挙および第21回参議院議員通常選挙の前には30%台まで急上昇し、このときは自民党の支持率を逆転するまでに至っている。しかしその一方で、選挙後は選挙前の水準まで下がる場合が多い。また堀江メール問題など党内で問題が起こった際には平時よりも政党支持率が一段と下落する。年齢別に見ると、結党後しばらくはは20?40代の世代に強い支持を集めていたが、自由党と合併し小沢一郎の代表就任後は50?60代の中高年層や保守層などにも支持を広げている。

第21回参議院議員通常選挙後は、これまでのような、選挙後に支持率が急降下するという現象が発生しておらず、各種世論調査で20%以上の支持率を維持している。このため、選挙後も自民党の支持率を上回るという現象が初めて維持されていたが、安倍首相の辞任会見、福田康夫新総裁の選出の余波を受け、多くの調査で自民党に政党支持率トップの座を奪い返された。


都市部優位からの変化
かつて民主党は、1区現象で顕著であったように、各県の県庁所在地や東京などの都市部での支持が圧倒的に強いという傾向があった。ところが、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙においては、「逆1区現象」と呼ばれたほど民主党が都市部での票を大きく失い、東京都内の小選挙区での当選者が東京18区の菅直人のみ、神奈川県内の小選挙区での当選者は0となるなど、大敗北を喫した。これは、自民党が、地方を軽視する傾向にあったものの、「小泉劇場」「刺客選挙」で増幅され続けた小泉純一郎首相への個人的人気(ポピュリズム)、いわゆる「小泉旋風」により、特に都市部において自民党候補への票が圧倒的に増加したことが原因とされている。

一方で地方や農村部で民主党がそれまでになく健闘するケースも出てきている。統一地方選挙の前哨戦と言われた2006年12月10日の茨城県議会議員選挙では、保守王国・自民王国である茨城県において、水戸市や日立市で民主党議員がトップ当選し、県南地域の土浦市でも民主党が議席を獲得するなど、民主党が少なからず健闘を見せている。さらに2007年の参議院選挙では、地方を中心とする「一人区」で民主党が自民党に対し17勝6敗(無所属等も含めると23勝6敗)と3倍近い議席を獲得している。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月08日

戊辰戦争の歴史

難しいですよね。
なるべく勉強したいと思います。

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古で成立した明治新政府が江戸幕府勢力を一掃した日本の内戦。慶応4年/明治元年の干支が戊辰だったことからこの名で呼ばれる。この戦争の結果、薩長、薩長協力藩(佐賀藩、土佐藩等)出身者が明治政府の主体となり、日本は近代的な中央集権国家への道を歩んでいった。

戦争終結までほぼ一貫して新政府軍の優勢のうちに戦いが進められた。「近代化を進めた新政府軍に対して、遅れた旧幕府側の軍隊が対抗できなかったために敗れた」というのは誤りで、実際は旧幕府軍も早くから軍隊の西洋化に取り組んでおり、新政府軍に対して劣っていなかった。特に海軍は旧幕府軍のみが持っていた強力な戦力であった。開戦時での兵力や兵站は旧幕府軍が圧倒的に優勢であったが、小銃での戦闘に習熟した新政府軍に対応できず大敗した。それでも旧幕府軍の兵力は上回っており洋化部隊も温存されていたのだが、徳川慶喜が将兵を置き去りにしたまま脱出したこともあり士気が低下し自壊した。以降、徳川慶喜が降伏恭順に徹したため、反抗を続ける旧幕府勢力は糾合の核を欠き、戦力の結集が行えなかった。東北戦争では奥羽同盟に参加した藩の多くが、改革の遅れや財政難から軍備が立ち後れており、新政府軍とは兵力での開きが大きかった。同盟に合流した旧幕府軍の精鋭部隊も弾薬が欠乏すると、旧式の小銃を使用せざるをえない状況に追い込まれた。

兵力として藩士からなる正規兵だけでなく、町民や農民、無頼の徒や他国藩士によって結成された混成部隊が戦力とされ活躍した。長州奇兵隊を結成した高杉晋作は「太平の世で堕落した武士より戦力になる」と考えていたとされる。

戊辰戦争においては、焼き討ちや物資の現地接収、捕虜の私刑、味方への制裁も多く発生している。また、略奪、暴行、放火、強姦や殺戮のような戦争犯罪が行われた記録も多い。いわゆるガラの悪い人物の多い混成部隊ではもちろんの事、藩兵が同盟領内や自国内で行った記録すら残されている。また、会津兵や薩摩兵による敵兵の肝を食う行為も伝えられている。これらの記録は特に東北戦争において見ることができる。ただしこれらの兵の素行や略奪の概念は近代の倫理観と同一ではないため、現代の倫理観をそのまま当てはめて判断することは適切ではない。

新政府軍は主にイギリスから、旧幕府軍は主にフランスから、軍事教練や武器供与などの援助を受けていた。しかし両陣営とも外国の軍隊の派兵を要請することはなかったため、欧米列強による内政干渉や武力介入という事態は避けられた。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月27日

アセトアミノフェンの正しい利用方法

思わず調べちゃいました。
これ飲んだらお酒飲んじゃだめだよ。

アセトアミノフェンはアスピリンやイブプロフェンなどの非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)と異なり、抗炎症作用を持っていない。また、正常な服用量では、アセトアミノフェンは非ステロイド性抗炎症薬と異なり、胃を刺激せず、血液凝固、腎臓あるいは胎児の動脈硬化などの影響がない。また、オピオイド系鎮痛剤(モルヒネなど)と異なり、興奮、眠け、多幸症などの副作用が無く、中毒、依存性、抵抗性および禁断症状に関する問題が完全にないというの利点を持っている。さらに、アスピリンやイブプロフェン、ナプロキセン、ジクロフェナクなどNSAIDによって引き起こされる「アスピリン喘息」の患者であってもアセトアミノフェンでは喘息を起こしにくいという報告もある。
歴史
アセトアミノフェンは1873年に初めて合成された。 医薬品として用いられたのは1893年である。

作用機序
アスピリンと同様にシクロオキシゲナーゼ(COX)活性を阻害することでプロスタグランジンの産生を抑制するがその効果は弱い。解熱・鎮痛作用はCOX阻害以外の作用によると考えられてはいるが、詳細は不明である。
副作用
人体内に存在するシトクロムP450はアセトアミノフェンを酸化し、アセトアミドキノンを生成する。アセトアミドキノンは強い求電子試薬であり、グルタチオン(GSH)のチオール基や細胞内タンパク質と反応する。従ってアセトアミノフェンを多量に摂取すると肝臓毒性が現れる。ただし、治療レベルならこれは問題にならない。他方、犬や猫(特に猫)ではグルクロン酸抱合能が低く、少量のアセトアミノフェンの摂取でも中毒を起こす。したがってアセトアミノフェンを含む解熱鎮痛剤を犬猫に投与してはならない。

事件
1999年に日本の埼玉県で、市販の風邪薬とアルコールを大量に摂取させることによる殺人事件が発生した。警察は容疑者を絞り込んでいたものの、被害者の体内から毒物などの物的証拠を確認できなかったため逮捕に至らなかったが、風邪薬に含まれるアセトアミノフェンとアルコールを同時に大量摂取することで死に至る危険性があるという調査結果を得て逮捕に踏み切った。

米国ではアセトアミノフェンの大量摂取による中毒死が発生しており、日本でも前述の殺人事件の発生をきっかけに、日本薬剤師会から販売体制の徹底が薬局などに通知された


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2007年09月19日

麻生氏、安倍首相辞意について「知ってたのは自分だけではない」

そりゃ、そんな重大な事を知ってたのは、麻生氏だけではなかったでしょうよ。他にも知っていた議員がいただろう事は察しますが、問題は麻生氏のようなポジションにあるものが、3日前から知りながら、適切な処置をとらなかったことに責任を問われているわけで。この時期にそんな事を洩らすあたりが嫌な感じです。


『参照記事』

自民党の麻生太郎幹事長は19日午前、安倍首相の辞意を事前に知りながら適切な対応を取らなかったと党内で批判されていることについて、「誤解のような話がいっぱい流れている。情報を知っていたのが私だけだったという話になっているようだが、同様に知っていた方もいた」と語り、自分以外にも首相の辞意を事前に知っていた人物がいることを明らかにした。

 これに関連し、与謝野官房長官は19日午前の記者会見で、首相の辞意を知っていた人物について、「(首相は)中川秀直氏に対して幹事長として信頼感を持って1年間ともにやってこられた間柄で、そういうことがあってもちっとも不思議ではない」との見方を示した